突然の訃報が飛び込んできました。
昭和の銀幕俳優の『梅宮辰夫さん』が慢性腎不全で12月12日午前7時40分ごろお亡くなりになりました。
芸能界の大御所でもあり、何不自由なく順風満帆に過ごしてきたイメージもありますが、6度ものガンを克服してきており、その歴史といえば壮絶なものでした。
しかも、記憶に新しいディナーショーで顔面に30針を縫う大怪我をしてそれでもなお出演した事で、話題になっていました。
という事で今回は、梅宮辰夫のガン克服の歴史や顔面大怪我の秘話について迫ってみたいと思います。
梅宮辰夫 ガン克服の歴史!
梅宮辰夫さんは冒頭でもお伝えした通り、お亡くなりになるまで6度、ガンを患いその度不死鳥の如く復活し生涯現役を貫きました。
そこで、ここでは梅宮辰夫さんのガン克服の歴史をお伝えしたいと思います。
初めてガンが見つかったのは、1974年で36歳の時に睾丸ガンにかかりました。
その時に左肺に転移。
同時に肺ガンも患ってしまいます。
その際、抗癌剤による化学療法を行ったのですが、驚くことに抗癌剤特有の副作用である脱毛が全く起こらず、当時の主治医が驚いたと言います。
このガンをきっかけに夜遊びを一切しなくなり、お酒の飲む量を減らし規則正しい生活をして料理に励む様になりました。
3度目のガンは2012年に初期の胃ガンが見つかりました。
ことの時は初期ということもあり、終わったのですが、2016年7月に発症した十二指腸乳頭ガンが12時間にも及ぶ大手術を受けました。
そんな手術を受けておきながら2017年1月には仕事復帰を果たしますが、2018年9月に前立腺ガンを患い、さらに2019年1月にも今度は尿管にガンを発症し、6度もガンを発症したのですが全て克服してきました。
ですが、慢性腎不全になり週3度の4時間に及ぶ人工透析を受けてきましたが、残念なことに2019年12月12日にお亡くなりになりました。
個人的にももともと腎臓が弱く、血管造影剤をしたことで腎不全になってしまったので人工透析の辛さは重々わかります。
しかも、腎臓が働かない為おしっこも作られず、かなりの水分制限を強いられていました。
そんな中でも梅宮辰夫さんは、お酒を飲まれていたということなのでその飲酒も今回の死に影響を及ぼしているのかもしれませんね?
顔面の大怪我秘話が泣けてくる!
2018年3月梅宮辰夫さんの80歳の誕生日と芸能活動60年を祝う会として東京プリンスホテルで行われたのですが、当日ホテル入り口で転倒してしまい顔面強打。
額や頬・鼻を裂傷してしまい30針縫う大怪我をしてしまいました。
ほとんどの方が記憶していることと思います。
ディナーショー直前のできことで多くの関係者や参列した300名の人たちは梅宮辰夫さん抜きで行われるのではと思っていたと言います。
ですが、梅宮辰夫さんは絆創膏を顔面に貼り痛々しい姿で登場。
ショーを通常通りに行ったのです。
しかも梅宮辰夫さんは『笑ってくれ、この顔。俺の顔に免じて勘弁してくれな。きょうはオペラ座の怪人でいくよ』と自虐ネタ的な感じで笑いを取りに行ったのです。
しかも、司会の山田雅人さんには『必ず笑いにしてくれよ!』と話をしており、その会場で梅宮辰夫ヒストリーを語りで行ったのですが、滅多に自分のことを語らない梅宮辰夫さんが山田雅人さんだけには、テレビでは言えない事まで赤裸々に語られており、その時から『死』について覚悟はしていたのでしょう。
山田雅人さんに俺が何かあった場合はお前が語り継いでくれと話されていたそうなのです。
さらに、このディナーショーを行った理由というのが節目の年という事もあったのですが、一番は2017年1月に亡くなられた弟分でもあった松方弘樹さんが亡くなられてことに関係している様なのです。
実際、松方弘樹さんが亡くなられて梅宮辰夫さんは塞ぎ込んでしまい、かなり落ち込んでいたと言います。
その時にそれでいけないと決心したのがこのディナーショーだったのです。
そんな思いもあってか、あんな大怪我をし顔中絆創膏だらけでも壇上に立ち行ったと言われています。
最後に
梅宮辰夫さんはお伝えした通り週に3回の人工透析を受けており、遠出をすることは困難だったのですが『釣りに行きたい』と前向きな姿勢を見せており、近しい友人にはもう一回忘年会をしようと語られていたと言います。
6度のガンを克服し、最後の最後まで私生活も仕事も現役を貫かれた梅宮辰夫さんにお悔やみを申し上げます。
最後までご覧いただきありがとうございました。